小池 カイロ 大学。 小池都知事はカイロ大学を卒業していたか? 『女帝 小池百合子』

『女帝 小池百合子』、都知事選を「カイロ大卒」で“強行突破”できるか

小池 カイロ 大学

「学歴詐称大国」 東京都知事は、自身の学歴詐称疑惑に関して、ほとんど説明らしい説明をしたことがない。 常に言うことは「卒業証書も卒業証明書もある。 カイロ大学も卒業を認めている」だけだ。 しかし前回の記事で指摘したとおり、その肝心の卒業証明書と卒業証書の提出を頑なに拒否しているというのであるから、お話にならない。 そしてカイロ大学が認めているというのも、きわめて怪しげな話である。 カイロ大学を含むエジプトの国立大学では、小池氏が卒業したと称しているサダト大統領の時代(1970〜81年)から現在に至るまで、不正な卒業証書の発行が行われてきた。 エジプトは、「腐敗認識指数」で世界180ヶ国中105位(ランキングが低いほど腐敗度が高い)という汚職や不正が横行する国である。 大学の卒業証書など、カネとコネでなんとでもなる。 このことは、カイロ大学の学長も2015年にテレビで認めている。 カイロ大学(Photo by gettyimages) エジプトにおける不正卒業証書の発行は、大学ぐるみのもの、教授や職員が関与して行うもの、外部の業者が大学の職員に手伝わせて行うものなどいくつかのパターンがある。 エジプトでは有力政治家が「この人間を卒業したことにしろ」と言えば、そうなるのは当然のことと受け取られている。 国立大学の偽卒業証書で医者をやっている人間が複数いることも確認されている。 エジプトとはそういう国なのだ。 成績表も学内の記録も完璧に偽造 サダト、ムバラク(在位1981〜2011年)時代に横行していたのは、有力政治家の依頼による、不正な卒業証書の発行だ。 エジプトの国立大学の複数の職員は「大学で勉強したこともない多数の国内外の政治家、有力者、その関係者に学士の卒業証書が不正に与えられた」と証言している(証言記録やメールのやり取りは手元に保管してある)。 また、ベテランのエジプト人ジャーナリストは「エジプトの有力政治家が『この人物を卒業生にしろ』と命じれば、学長は職員に命じて卒業証明書や卒業証書を作らせる。 職員は入学記録や初年度の成績などを参考に成績表も偽造し、大学内の記録も含めて形式的に完璧にする。 したがって書類だけを見れば瑕疵がない、これはエジプトでは当たり前のことで、事務的に処理される」と述べる。 エジプトの国立大学による不正な卒業証書の発行は現在も続いており、2015年にはカイロ大学のガーベル・ガード・ナッサール学長がエジプトの民放に出演し、7、8年前(すなわち2007、8年)から大学教授、職員、政治家などが関与して、不正に卒業証書が発行されており、ナッサール学長自身、卒業証書発行業者がカイロ大学の職員の手引きにより、大学内の講堂を使用し、資格取得のための講習をしているのを番組の2週間前に偶然目撃したと話している(同学長のインタビューは下の動画の1時間4分15秒のところから)。 2017年には、エジプト人女性ジャーナリスト、ダリヤ・シェブル氏がFacebookなどのSNS上で卒業証書を販売している複数の業者に接触し、実態を記事にしている。 ある業者は、「大学内部の記録まで捏造して卒業証書を発行する場合は40日、そうでない場合は20日で納品できる」と言ったという。 別の業者は「自分にはカイロ大学、アイン・シャムス大学、ファイユーム大学、ザガジグ大学内に協力者がいる」と話したという。 シェブル氏が業者に依頼したところ、業者が実際に彼女の名前でカイロ大学のメディア・サイエンスの博士号の証書を発行し、ヨルダン人の知人にカイロ大学の医学士(外科)の証書を発行した。 masrawy. カイロ大学側の奇妙な回答 小池氏は、従来から「カイロ大学は何度も自分の卒業を認めている」と主張しており、先の都議会でも同様の答弁をした。 しかし、筆者が知る限り、同大学文学部日本語学科長のアーデル・アミン・サーレハ教授が、最近、ジャーナリストの山田敏弘氏の取材に対し「(小池氏は)1年時にアラビア語を落としているようだが補習でクリアしている」と回答したり、同じく石井妙子氏の質問に対して「確かに小池氏は1976年に卒業している。 1972年、1年生の時にアラビア語を落としているが、4年生のときに同科目をパスしている」と回答した程度だ(なぜ学部長や学生部長や社会学科長ではなく、担当外の日本語学科長が回答するのか不思議ではある)。 サーレハ教授の回答も奇妙だ。 山田氏には小池氏がアラビア語を補習でクリアしたと言っているが、補習であるなら1年次にクリアしたということだろう。 しかし石井氏に対しては、4年のときにパスしていると回答している。 もっと奇妙なのは、回答内容が、小池氏自身の著書の記述と違っている点だ。 小池氏は『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、1年目に落第し、次の学年に進級できなかったとはっきり書いている。 エジプトの国立大学では、科目を3科目以上落とすと、次の学年に進級できない。 したがって小池氏の場合、卒業に最低で5年かかり、早くても1977年となる。 Photo by gettyimages 当たり前の話だが、エジプトも日本同様、1年落第すれば、卒業は1年延びる。 この点は複数のエジプトの国立大学の卒業生にメールで確認をとったので、間違いはない。 サーレハ教授は、「1976年に卒業した」という小池氏の主張に沿った回答をしたつもりなのだろうが、小池氏が日本で書いたことは知らなかったようで、ずいぶんと間が抜けた話である。 そもそも『振り袖、ピラミッドを登る』自体、1年目で落第したが4年で卒業したと、まったくあり得ないことが書いてある。 エジプトの国立大学は軍によって完全に支配されている。 エジプトは1953年に王政から共和制に移行して以来、2012年6月から2014年6月までの2年間を除いて軍が支配してきた国だ。 カイロ大学をはじめとする国立大学は、軍出身のシシ大統領が、日本との経済援助交渉などを有利にするため、小池氏をカイロ大学の卒業生にしておけといえば、忠実にそれを実行する。 ただサーレハ教授が、軍事政権の命令で、前述のような回答をしたのかどうかは定かではない。 すでに述べた通り、エジプトではカネやコネで、大学内部の記録を書き換えたり、卒業証書を発行することはいくらでも可能だ。 もしかすると、1976年から現在までの間のどこかの時点で、何者かによって小池氏の記録が書き換えられ、サーレハ教授は単純にそれを見て言っているだけなのかもしれない。 エジプト副首相との強力なコネ 小池氏は留学当時、父親をつうじてエジプト副首相だったアブデル・カーデル・ハーテム氏と強力なコネを持っていた。 したがって、やろうと思えば、不正に卒業証書を手に入れることはいくらでも可能だった。 もしそうしていれば、本物の卒業証書類を持っているはずだ。 しかし、その提出をひたすら拒んでいるのは、もしかするとハーテム氏のルートで「卒業」したのではないのかもしれない。 石井妙子氏による『小池百合子「虚飾の履歴書」』(文藝春秋2018年7月号)の中で、同居人女性は、「(カイロ大学に)入学した時は、ドクター・ハーテムの名前をさかんに聞いていたのですが、この時(小池氏が1976年5月の進級試験に失敗し、最終学年でなかったので追試も受けられなかった時)彼女の口からは一度もハーテムに頼んでみる、といった言葉は出てこなかった。 入学はともかく、あとは自分で努力しなさい、ということだったのか、疎遠になっていたのか」と証言している。 その場合、別ルートで小池氏は卒業証書類を入手したことになる。 カネで大学の内部記録を書き換え、本物同様の卒業証書類を手に入れたか、あるいは、どこかで偽造したかだ。 いずれにせよ、都議会に現物を提出できないというのは、自分が持っている証書類が本物ではない(あるいはその可能性がある)と認識しているからだろう。 違うと言うのなら、現物を出せば済む話だ。 日付や消印がある手紙やメモにもとづいた同居女性の証言、卒業証書類の提出を頑なに拒む態度、1年目に落第しながら4年で卒業したという自著の矛盾した記述、「お使い」レベルのアラビア語、卒論に関する事実に反する議会答弁、当時を知る複数の日本人の証言と矛盾する入学年などに照らせば、小池氏がカイロ大学を正規のルートで卒業したと信じるのは到底無理な話である。 外部サイト.

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小池百合子

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来歴 生い立ち に生まれる。 父親の小池勇二郎は戦時中、、らが創設した思想団体「スメラ学塾」のメンバーとして活動し、石油関連の貿易商として戦後に財を成した。 また、政治家への転身を考えていた父親はに心酔していた。 1959年、末次の主催する日本健青会がとの交流事業を行い、その一環としてアラブ、アフリカ諸国に視察団を送る。 視察団に参加した勇二郎はエジプトので感激し「自分はここに残って商売がしたい」と言い出した。 結局、周囲に説得させられて帰国するが、小池百合子とエジプトの縁はここに端を発した。 、を経て、1968年にに進学。 在学中は、、、に所属した。 高校2年の12月、父親の勇二郎はに、による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けてから無所属で立候補したが落選。 業者間転売品の仕事が立ち行かなくなった父親は、1970年にが来日すると、日本アラブ協会が主催した歓迎パーティーに出席しハーテムに自分を売り込んだ。 帰国したハーテムを追いかけ、同協会に所属する国会議員の紹介状を手にエジプトに飛んだ。 さらにハーテムの知遇を得た勇二郎は帰国後の同年10月14日、で講演を行う。 「中東から日本に入ってくる石油はすべてユダヤ人が経営する企業を経由している。 今回の中東訪問で自分は人脈を築いたので、ユダヤ企業を通さず石油を仕入れられるが、足りないのは自前のタンカーである」と述べて投資を募り、商売を続けた。 1971年3月、甲南女子高校卒業。 同年4月、に入学。 ほどなくして父親の会社の都合で家族が東京都のに引っ越す。 「のにが加わる」 旨を伝える新聞記事がきっかけでアラビア語通訳を目指し、同年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。 カイロ市の (: )でアラビア語を修めたという。 エジプト滞在中にカイロ近郊にあるを登り、その天辺での形式に則りお茶を点てたことがある。 両親は「」こと松浦良右の資金援助ででを経営するが、父親の会社は小池の留学中に倒産した。 1972年6月、カイロ大学に入学。 1976年10月、同大学文学部社会学科を卒業。 複数の小池の著書によれば「カイロ大学をで卒業」と記されている。 来日するエジプトの夫人のジハン・サダトをエスコートするために、同年10月11日、一時帰国。 11月にまたエジプトに戻り、12月に正式に帰国した。 小池のカイロ大学(首席)卒業疑惑問題はたびたび取り上げられている()。 通訳、ニュースキャスター時代 帰国後はアラビア語の通訳として活動。 議長やのの会見では、コーディネーター兼インタビュアーを務めた。 、の抗議により「」の名称が「」に改められた際、小池はこの運動を支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めている。 小池によれば、トルコ留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、個人的な共感の結果であったという。 自らに乗り込み、に「日本中でトルコの名前が出ているが、これはやめてくれ」と直談判、渡部の指導により『トルコ風呂』という名称は使用されなくなった。 からまで、日本テレビのトーク番組『』でアシスタントキャスターを務めた。 『』のや、『』のより1年早いデビューで、元々フリーから出発した女性キャスターとしては草分け的存在であった。 その後、より『』初代メインキャスターを務めた。 度のを受賞した。 日本新党公認で参議院議員に初当選 7月のを前に、複数のから立候補の誘いを受ける。 は同年5月発売の『』に「『自由社会連合』結党宣言」と題する論文を寄稿し、新党旗揚げを発表した。 ニュース番組に次々と出演するが、その中のひとつに小池がメインキャスターを務める『ワールドビジネスサテライト』があった。 番組出演後、元『』編集長のが間に入り、細川に小池を新党に誘うよう話を進めたと言われている。 細川が参議院議員候補として小池に白羽の矢を立てると 、「を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」 との理由で、5月22日に結成されたに、、らとともに入党した。 当時のはであったが、小池は党代表の細川に次ぐ2位に記載され、日本新党が比例区で4議席を獲得したため初当選した。 翌、に日本新党公認で鞍替え立候補し、(定数5)において元委員長のに次ぐ得票数2位で当選した。 は選挙前の党分裂により減少した議席数を回復できなかったのに対して、日本新党は躍進し、非自民非の連立によるが成立した。 小池はに就任するが、連立政権は1年足らずで崩壊する。 、日本新党を含む旧連立派各党を糾合した野党第一党となるの結党に参加する。 のでは、の導入に伴い(、、)から出馬し、自民党のに競り勝ち再選。 新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任したの側近となり、の新進党解党後は小沢率いるに参加。 自由党・保守党時代 らと共にと面会(2001年3月) 、自民党と自由党の連立()に伴うの発足に際してとなり、まで務める。 の自由党分裂に際して小沢と決別して連立与党に残留、保守党結党に参加した。 同年6月のでは保守党公認に加えてを条件とする連立与党の推薦を受け当選(3選目)し、今回比例単独に回った自民党の阪上に次回選挙の選挙区出馬枠を譲ることとした。 自由民主党に入党 12月、を離党したらの合流に伴う結成を前に、党首のおよびと共に、保守党を離党。 保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経てに入党。 に関しては、野田と月原がに入会したのに対し、小池は(当時は派)に入会した。 9月、でとして初入閣。 同年10月のでは、保守党時代のコスタリカ方式の約束により自民党から比例単独で立候補。 の自民党候補名簿で重複組のひとつ上の3位に記載され、比例近畿で自民党が9議席獲得したため4選。 よりを兼任。 環境大臣はまで務め、夏の軽装化キャンペーン「」の旗振り役を務める。 のでは、にとして国替えする意向を表明。 選挙の結果、のや小林を大差で破り、5選。 答礼訪日時にを受勲したと(2007年8月17日) に発足したでは、(国家安全保障問題担当)に任命される。 その後、、の辞任後の後任の防衛大臣に起用された。 女性初の防衛大臣である。 在任中、の延長問題に関して、民主党が求めている派遣に関するの事前承認について「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。 今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した。 8月、可決を受けてのの動揺を防ぐため、を欠席してを訪問し、やと会談する。 がの延長に反対している状況を説明した上で、「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、でのの給油活動を継続する方針を伝えた。 との会談では「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、日本でライスは(こめ)になります。 よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」などとでジョークを飛ばした。 なお、訪米のための国会欠席についてに行われた自民党国防部会などの合同会議で、から「いささか当を得ない行動ではないか。 今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判されている。 について、「防衛省内で誰も責任を取っていない。 私は責任を取りたい」として、で自身の再任を固辞、離任した。 9月、の辞任に伴って実施されたに立候補した。 自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初であった(推薦人代表は。 選挙責任者は )。 結果は、、に次ぐ3位。 党員票は麻生に次ぐ2位であったが、地方票は0票であった。 のでは自民党への逆風を受けて小選挙区では民主党新人のに敗れ、で復活当選した。 、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」として町村派を退会し、無派閥となった。 麻生退陣に伴うで推薦人に名を連ねたが当選、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。 の(J-NSC)設立総会で、相談役に就任した。 2010年9月の党役員人事で、に就任した。 党三役に女性が就任するのは結党以来初めてであった。 9月退任。 のでは、東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。 選挙後、自由民主党広報本部長に就任する。 ので8選。 ビデオ 小池百合子(2017年5月4日) に立候補する意思を表明。 当初は自民党東京都連に推薦を依頼したが、「東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として無所属での出馬を宣言して推薦を取り下げ 、自民党に進退伺を提出する。 自民党は小池を応援した者の処分などを通達したが 、選挙戦では前任のやの自民党会派の体質などを批判する。 投票の結果、2位以下の候補を大きく引き離す291万2628票を獲得して当選し 、女性初 のに就任した。 2016年9月20日、小池を支援する政治団体として『』が発足。 2017年1月23日には小池系の議員によるとなる。 6月1日、都民ファーストの会の代表に就任し、同日自民党に離党届を提出した (離党届は7月3日に受理 )。 においては小池が主催する政治塾『 希望の塾』の塾生などを擁立し 、選挙の結果、都議会で小池系の勢力が過半数を占めた。 都議選後、すぐに党の代表を辞任したため、選挙だけが目的の食い逃げと批判された。 都知事就任後は、等の対応にあった。 10月には、前東京都知事の下で選任された3名のを任期途中で解任し、ら2名を新たに副知事として選任した。 2019年には民間出身副知事としてを起用。 希望の党 2017年9月25日、自らが代表となる新党「」の結成を発表し、同日に総務大臣あてに「希望の党」の設立を届け出て受理された。 ではとの合流を決断。 民進党議員の公認は希望の党で受け入れる形となった。 同年9月29日、記者クラブ主催の都庁記者会見で、挙手をしてもほとんど当てられることのなかったフリージャーナリストのを小池は指名。 横田が「代表が昨日述べた『公認申請すれば排除されない』ということについて、小池知事は『安保、改憲で一致しない人は公認しない』と述べた。 (小池知事は)前原代表を騙したのか」と質問すると、小池は「『排除されない』ということはございませんで、排除いたします」と笑顔で言い切った。 翌9月30日には出所不明の「排除リスト」が党内に出回る。 小池も希望の党も「排除」発言以降は勢いを失っていたが、それでも希望の党の幹部にすり寄らなければ議員でいられないと考える旧民進党の議員は多かった。 混乱の中で旧民進党リベラル派が10月3日にを結党。 野党が2分された結果、自民党に大敗し、野党第一党の座も立憲民主党に奪われた。 この結果に党内の求心力は低下し、11月14日に代表を辞任した。 11月20日、後任代表のの要請で特別顧問に就任した。 その後、野党再編の有り方を巡り希望の党が分裂。 2018年5月7日にが結成された。 分党措置により保守系議員らが新たに結成したから特別顧問就任を打診されたものの固辞し 、国政からは距離を置くことを表明した。 政策 内政 経済 は「財政に家計の常識を入れる」ことを基本にしており、による景気対策に否定的である。 財政出動はの下では効果が無いとの立場を取る。 に財政規律条項を加えることを提案している。 選択的夫婦別姓制度 を外す場合、選択的については選択制であることから賛成するとしている。 一方、2014年の調査では、「どちらとも言えない」としている。 女性宮家 2012年の毎日新聞の調査では、創設に賛成と述べている。 表現規制 国会議員時代は「や、、における描写を規制する」の請願をに提出した。 でも、小池の選挙対策事務所は「表現の自由は、しっかりと守るべき」とした上で「目をそむけたくなるものも中にはあり、そこをどのように線引きするか議論が必要」とした。 なお、東京都ではにより毎月1〜3冊程度のマンガや雑誌等がに指定されているが、小池が都知事に就任した2016年以降、特に作品の不健全指定が増えている。 不健全指定された作品は都内で青少年向けに販売できなくなるほか、における販売が停止される。 無電柱化 自民党無電柱化小委員会の委員長として日本全国のを推進し、「無電柱化推進法」の成立を目指している。 7つのゼロ 2016年7月の都知事選挙の選挙公報で「7つの0(ゼロ)を目指します」として、待機児童、介護離職、残業、都道電柱、満員電車、多摩格差、ペット殺処分の7項目を挙げた。 このうち「ペット殺処分ゼロ」 は2018年度に実現し、を使用するとしていた「満員ゼロ」は、の拡大により企業の在宅勤務や時差通勤への取り組みが進展し、通勤時間帯の満員電車はほぼ解消したが、その他の5項目は依然、道半ばと指摘された。 築地市場の移転延期 の移転先となるの全施設は2016年5月に完成し、11月10日の完全移転・開業を予定していたが、8月31日に「土壌汚染対策に不安が残る」として開場の延期を宣言した。 その後、2017年6月20日に「一度豊洲に移転し、5年後再び築地に戻す」としたが、12月20日には「2018年11月10日に移転し、築地市場は解体する」と改めた。 延期決定から築地市場解体決定までに1年4ヶ月弱を要し、その間に小池が度々姿勢を転換させたため、市場関係者以外にも大きな混乱を招いた。 2018年7月31日、土壌汚染対策の追加工事が完了し、「将来リスクを踏まえた安全性が確保された」として、小池百合子により豊洲市場の安全宣言が出された。 同年9月13日に開場記念式典が行われ、10月11日に取引を開始した。 この移転延期により、巨額の損害が生じたことが指摘された。 詳細は「」を参照 子どもを受動喫煙から守る条例 自らの意思でを避けることが困難であり、保護の必要性が高い子どもを守ることを目的とした条例を制定した。 4月1日施行。 条例は保護者に対し、18歳未満の子どもがいる室内や車内でをしないことや、が不十分な施設に立ち入らせないことなどを求めるものであり、のため罰則規定はない。 この条例に対し、は「条例が家庭内にまで踏み込むのは『法は家庭に入らず』の原則から納得できない。 継続審議すべきだ」として反対していたが、10月5日に自民党を除く賛成多数で可決、成立した。 受動喫煙防止条例 従業員を雇う飲食店に原則屋内を義務づけるなどした罰則付きの防止条例を制定した。 4月1日までに段階的に施行される。 一時は「国との整合をとる」という理由で条例案の提出を見送っていたが、政府が客席面積100平方メートル以下の飲食店でを認めるなど例外が多い内容の改正案をしたことを受け、国の方針より厳しい条例の制定を目指したものである。 政府案で規制されるのは国内の飲食店の45%にとどまるが、当条例では都内の飲食店の84%が規制対象となる。 当条例については、飲食組合やたばこ販売店などから強い反対があり 、のも「都が一律に規制するのは的だ」と批判していた。 においては、が規制対象外とする飲食店を増やす修正案を提出するなどして反対しており、都議からは「実効性がない荒唐無稽な基準だ」という批判もあったが、6月27日に自民党を除く賛成多数で可決、成立した。 小池都知事は条例の成立について「以前は反対される飲食店も、より多かった。 この1年間いろいろと訴えをし、途中で条例の設計の見直しも要したが、ご理解いただいて、今回の成立につながった」と述べた。 新型コロナウイルス対策 2020年3月12日、新型コロナウイルス感染症の拡大によりの事務局長が「パンデミックと言える」と発言したことについて、「都として準備を重ねてきたことであり、中止という選択はない」と述べ、予定通り同年夏の開催を目指す考えを示した。 3月22日にIOCが東京五輪の延期を検討すると発表した翌23日、新型コロナ関連で最初の記者会見を開き、を避けることなどを要請した。 4月23日の臨時記者会見では「4月25日からの12日間を、『いのちを守るステイホーム週間』とします」「『STAY HOME』。 おうちにいましょう」と強く要請した。 は、2020年5月21日号(5月13日配信)で、東京都が入院患者数をごまかし、より深刻に装っていたと報道した。 東京都の感染症対策課によると、5月11日現在、3300床が確保されているという。 同誌は小池について「3月下旬の3連休前、五輪を気にして手を打たず、感染拡大させた張本人が、命を削る自粛を強いながらも、その前提となる数字を示さないのは、都民ひいては国民への背信行為。 徹底的な検証が不可避であろう」と指摘した。 2020年5月12日、新型コロナウイルスの感染歴を調べる「抗体検査」を6月から月3千件のペースで実施すると発表し、「継続的に抗体検査を実施して地域ごとの抗体保有率を調査し、感染拡大防止対策に役立てていきたい」と述べた。 2020年5月19日、新型コロナウイルスの緊急事態宣言延長に伴う休業要請の追加協力金930億円などを含む5832億円の2020年度補正予算案を発表し、小池は「感染の拡大を防止するという大きな目標には、(経済的な)セーフティーネットが必要だ。 対策を切れ目なく講じていくことで効果が出る」と述べた。 新型コロナ対策費の総額は、4月に想定した8000億円から約1兆円に拡大した。 これに対し、自民党の都議は「小池百合子都知事は、新型コロナウイルス対策の1兆円で再選を買ったも同然だ」と指摘した。 2020年5月22日、緊急事態宣言が解除された場合、休業要請を段階的に緩和する「ロードマップ」を発表した。 この政策について、元衆院議員でタレントのは、小池のロードマップでは完全解除まで2カ月と推察し、経済がもたないのではないかと指摘した。 外交、安全保障 核武装 11月、の衆議院議員アンケートで、日本のについて「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答した。 対リビア外交 日本リビア友好協会の会長を務めており 、日本とリビアとの関係の強化、発展を目指している。 なお、この日本リビア友好協会は、リビアからの要求に基づき、政府に代わり「日本リビア間の経済、産業、科学技術、文化等の協力促進に関する合意書」を締結した団体である。 によるリビアの間も、日本とリビアとの関係強化を図るためさかんに活動しており 、同国の革命指導者であるの二男のサイフルイスラーム・ムハンマド・アル・カッザーフィーや、三男のアル=サアディー・カッザーフィーに対し、日本訪問を要請したのもこの団体である。 リビアを訪問した経験もあり、複数回にわたって同国の革命指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーと直接会談している。 さらに、カッザーフィーに招かれ執務室の中に入ったこともあるという。 カッザーフィーは国家の樹立を目指し、を参考にしている、などと主張している。 にはカッザーフィーに対して「」をプレゼントしたこともあるとツイートした。 2011年8月には、日本の政治家として初めてのトップである議長らと会談した。 人物 政党遍歴 、、、、と5つのに所属し 、「政界渡り鳥」と呼ばれることがある。 ただし、日本新党、新進党は党そのものが解党しており 、自発的な離党は自由党および保守党を離党した時 である。 また、自由党からの離党はからの離脱の是非を巡り党が分裂したことに伴うものであり、、、、など小池を含めて26名の議員が共に離党している。 これは自由党に残留した側の人数を上回る。 小池は『』(2008年1月号)への寄稿で、「政界再編の荒波の中で生きてきた結果、自慢にはならないが、新党の立ち上げはお手のものだ。 党名、綱領、政策、キャッチフレーズに、党名ロゴ作りまで、三日もあればまとめる芸当さえ身に付けたが、もうたくさんである 」と回想している。 立ち上げから参加したのシンボルカラーは自身のものと同じ緑である。 なお結党時には公式の英語党名として「New Progressive Party」(直訳すると新進歩党)提案したが、異論があり「New Frontier Party」(直訳すると新開拓領域党)となった。 7月にへの立候補を表明した際には、「このところいろいろと私のこれまでの経歴などをご紹介いただく放送などを見ていて、『政党がコロコロ替わる』というようなご指摘もいただいている。 しかし、改めて申し上げると、それは政党の離合集散の結果であって、政党名が変わっただけであって、私の主張、思想、そして信念は一度も変えたことがない。 改めて思うと、政党というのはあくまで機能体であって、仲間内の運命共同体ではないと思う 」と自ら説明している。 防衛事務次官更迭問題 に防衛大臣に就任した小池は、時代からの懸案であったの「情報保全」システムの確立を理由に、を退任させ、出身の西川徹矢を防衛事務次官に起用する人事案を作成した。 しかしこの人事情報が防衛省中枢からに漏洩され、更に守屋が小池の頭越しにやに対して直接、人事案の撤回を直訴。 塩崎が小池に対し、人事案の再考を求める事態に発展した。 小池は人事案の撤回を迫られ、安倍・塩崎らは守屋留任でも西川でもない「第三の(人事)案」を小池に要求して事態の収拾を図り、守屋同様防衛省プロパー(他省庁からの出向ではない、生え抜きの防衛官僚)である人事教育局長を後任の事務次官に起用する「第三の案」で決着させ、マスコミは「痛み分け」「けんか両成敗」などと評した。 なお守屋は事務次官を退任後、国会でのの後に、された。 小池は「オンナの直感で『これはよろしくない』と思った 」と述べた。 「臥薪嘗胆ヘア」と断髪式 小池は高校時代以来髪を伸ばしたことがなく、一貫してショートカットであった。 自民党が政権を失った後、政権に復帰するまで髪を切らないと宣言した。 2012年12月16日に行われた衆議院議員総選挙において自民党が政権に復帰し、小池自身も2期ぶりに小選挙区からの当選を果たした。 この結果を受け、同年12月19日、後援会関係者らが参加して「」が行われた。 1年2ヶ月の間切らなかった髪は肩下まで伸びていたが、自民党の選対局長や参院議員ら50人以上がの断髪式にならって髪にハサミを入れ、元のショートカットに戻った。 会場は最初での開催を希望したが 、都内のホテルで行われた。 その他• に留学していた21歳の頃、日本人留学生の一般人男性とし、している。 小池によれば、顔の頬の部分にがあり、キャスター時代は化粧で隠すことに苦労したという。 都知事選時にが小池を「厚化粧の女」と発言した際は、「ちょっとぐさっときたかな」と思ったという。 小池によれば、猪瀬直樹の後継都知事選挙では、事前に石原から出馬の打診があったという。 末にはの手術を、翌5月にはの手術を受けた。 子宮全摘出で3週間入院した。 、肺炎 により40度近い熱を出しで入院したが、翌に退院して公務に復帰した。 2016年に第29回では、創刊30年記念として創設された「DIME創刊30周年記念 トップリーダー賞」を受賞。 また、「 Women of the Year 2016」 、第45回(政治部門) を受賞。 2017年4月にの雑誌『』が選ぶ2017年の世界で最も影響力のある100人に選出されている。 政治資金関連• は2007年11月26日、においてから4年連続で繰越金が0円であった団体の一つに小池が代表を務める政党支部を挙げた。 小池の事務所は、「実際にかかった費用を積み上げ、法にのっとって適切に処理した結果だ」 としている。 は2016年7月4日、小池が代表を務める自民党東京都第10選挙区支部が、支援者が所有するビルの一室を相場価格の半額ほどで賃借しながら、差額を寄付として政治資金収支報告書へ記載する義務を怠っていたと報じた。 神戸学院大学教授のは「に抵触する可能性がある」と主張した。 小池の事務所は、「提示された金額を見て借りることにしたので、寄付という認識は全くない」と説明し 、産経新聞の報道内容への反論をおこなった。 1992年7月に小池が参議院議員に初当選すると、それまで政治家になることに反対していた社長のは小池に後援会の設立を促した。 後援会は小池の下の名前もかけて「フォーラム・ユーリカ」と名付けられ、宮内が会長に就任した。 このときも設立されるが、同名の「フォーラム・ユーリカ」とされた。 「フォーラム・ユーリカ」は、後の2016年12月に資金管理団体の指定を取り消され、2017年6月に解散した。 小池はを控えた同年6月1日、代表に就任。 選挙大勝後の8月、政治団体「百乃会(ひゃくのかい)」を設立した。 代表と会計責任者には元衆議院議員のが就いた。 再選に向け、2019年1月4日に新たな資金管理団体「百成会」を設立した。 小池百合子個人の政治団体 区分 団体名 よみがな 設立日 解散日 代表者 フォーラム・ユーリカ ふぉーらむゆーりか 1992年 2017年6月 小池百合子 百成会 ひゃくせいかい 2019年1月4日 小池百合子 政治団体 百乃会 ひゃくのかい 2017年8月 発言 小沢一郎• 、に在籍していた約6年間にを支持していた理由について、「小沢さんが九三年に刊行された『日本改造計画』に大変な感銘を受けたからだ」 と説明しながらも、「ところが、小沢さんが掲げた改革を断行し、の社会構造を廃しての社会を実現しようとしたのは小沢さんならぬ、元総理、その人であった」 と評している。 小沢の手法については、「極論すれば、小沢氏の政治行動の基準は、わずか二枚のカードに集約される、と。 それは『政局カード』と『理念カード』である。 具体的にいえば、『政局カード』とは持論であるという錦の御旗を立てることであり、『理念カード』とはを中心にした構想である。 小沢氏というと政治的駆け引きに長けているように見えるが、決してそんなことはない。 むしろやり方はシンプルだ。 自民党を離党し、細川政権の樹立から今日まで、手の内のカードはこの二枚を駆使することに尽きる。 ある時は『政局カード』を振りかざし、それが手詰まりになると見るや、今度は『理念カード』を切る。 この繰り返しである」 と評している。 また、小池がを離党してに参加し、小沢と決別した理由については、「ここでを離れてになれば、小沢氏の『理念カード』によって、政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。 一方で、のの仕事を中途半端に投げ出すことには躊躇した」「少々心細くもあったが、実は『政局』と『理念』の二枚のカードに振り回されることにも、ほとほと疲れていた。 」 「かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずのについて、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、『反対』に回った。 国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。 政治の駆け引きで譲っていい話ではない。 同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対であったはずが、の取り込みという目的のために、『賛成』へと転じたことがある。 これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」 と説明している。 2012年には、作家のによるインタビューで、「の時に広報戦略を担当していた時の面白い資料が出てきたんです。 『小沢一郎がで嫌われるわけ』というの、私が作った。 『先見性がある、リーダーシップがある、決断力がある、正論を言う、実行する、先送りしない、本音を言う、役人に使われない。 政策を重視する……』と続くんですが、当時は小沢さんの半面しか知らなかったから、今から考えるといくつか全く違うところもある」「政策はあるけれども、それ以上に政局が第一なんじゃないかと。 今回の新党(引用者注:)でつくづく感じましたね」「小沢さんは政局を目的化しすぎ。 政権を取った時、言っていた政策と行動があまりにも違う」「小沢さんはでによる政権交代可能な政治制度を作ると言ってを導入した。 小選挙区制度では新党を作るのは不利だと一番分かっているのが小沢さんなのに、を離党して4回目の新党を作った」と述べた。 による2012年のインタビューでは、「小沢さんを取り巻く人が抱く感情の変遷には、3段階ある。 第1段階は、小沢さんを恐れ多く思う。 私も『日本を変えるのは、そんじょそこらの人にはできないが、小沢さんならできる』と思っていた。 第2段階は『すごい』と『えっ? 』の間を行ったり来たりする。 第3段階は『enough(もう十分)』と言って去っていく。 新党についていったのは第1、第2段階の人。 参加しなかったのは第3段階の人でしょう」と述べている。 辺野古移設案に関する非公式約束 のに関して、2007年に小池が防衛大臣在任中に、いわば空約束を沖縄県知事に非公式に与えていた事が記されたアメリカの「秘」(confidential)扱いの公電を、が暴露したと報じられる。 末尾に「SCHIEFFER」と記された公電は、在沖縄総領事が2007年11月2日に小池と昼食を共にした際の内容を伝えている(これに先立つ8月に小池は防衛相を辞任している)。 2006年に日米で合意した移設案に関して、沖縄県知事は滑走路を少しでも沖合へと修正するよう求めていた。 ウィキリークスによると、小池は、後を条件に、政府が滑走路を50メートル沖合に移すことを同意するとの「非公式な『約束』」を知事に与えていたことをメアに認めたとされる。 メアは小池に、滑走路を移動する科学的根拠が環境影響評価により与えられなかった場合にどうするのか、を尋ねた。 これに対し、2009年までには別の政権になっており、我々が知事に現時点までに何を約束したかが問題になることはない、と小池は答えたという。 ウィキリークスによると、公電は、日本の内閣がこのような非公式な示唆を沖縄県知事に続ける事への懸念、また小池によりそのような非公式な約束が為されたとの噂をアメリカ側が事前に聞いていた事を記しているとされる。 小池は約束を与えた事を否定し、「その場に総領事が来たという記憶もないし、必然性もない」と主張している。 沖縄メディア• 3月に「の先生(=自民党議員)方が何と戦っているかというと、沖縄のメディアなんですよ。 今日はこちらに地元メディアもいると思うが、しかしながら、あれと戦って今回のご当選をされてきたということは、むしろ沖縄のメディアの言っていることが本当に県民をすべて代表しているとは、私ははっきり言って思いません。 これからも堂々と地元と国会議員としての役割を果たして頂けるように後押しをさせていただきたい」と党国防部会で述べた。 水俣病問題• に関して、被害者に保障すべしという最高裁の判断を無視し、「水俣病問題に係る懇談会」を設置。 学識者による認定の基準値を批判、最高裁から異例の談話を発表された。 「女性は子供を産む機械」発言への批判• 女性を「子供を産む機械」に例えたの発言に対し、に出演したテレビ番組で「柳澤さんだけじゃなくて、の国よりも、日本における男性の、女性に対する見方は遅れてるんじゃないか」と批判した。 外国人参政権 のにおいて外国人参政権について質問し、の「はへの」という発言について質し、さらにから「私の所属しておりますは付与することについては反対でありますし、私としても反対であります」との答弁を引き出した。 なお、小池本人は保守党在籍当時の11月に、同じ衆議院の特別委員会で法案提案者の一人として「を払っている在日の方々がそれに対して意見を、また参政権という形で、選挙という形で意見を述べるのは、これは当然ではないかというような意見もある」「在日の皆さま方のことを考えると同時に、日本そのものを考えるという大変大きなモメンタムである」と発言している(一方で提案説明の中で「やはりの声の中では幾つかの問題提起もされている」「地方の政治と国政とは実は非常に密接に関係してくる」「(南北朝鮮の民団とという関係が敵対して)一本化されていないということに一抹の不安を覚える」「を取りやすくするということも、この法案とはまた別にその選択肢も十分ある」と導入に慎重とも受け止められる意見もしている。 ただし、「国籍取得をより簡便にするということをまず考えなければならない」として、国政選挙権の行使も可能となるに積極的であった)。 2016年東京都知事選挙では、外国人地方参政権への反対を表明した。 その他• 、で行なわれたのに立候補した候補者の応援演説において、のにおける救援活動について「アメリカが支援に神戸港に入ろうとしても、港湾組合が厳しくてなかなか着岸できなかった」と発言。 これに対して港湾労組協議会は「拒否した事実はない」と否定している。 小池側は「非核証明がない限り入港できないという、を念頭に置いた発言」としている。 に立候補する直前の2016年7月8日にで実施された記者会見で、のは、小池が過去にの関連団体に招かれて講演をおこなったことがあると述べた。 小池は、「いろんな講演会に招かれることはしばしばございます。 しかし私は在特会という、最近よく出ておりますけど、それについてはよく存じておりません。 また、私を招いてくれた会は、こことどういう関係にあるか知り得なかったということでございます。 よって、その認識はないということです」と返答した。 掲載ののインタビューで、について、「一度だけ誘われて講演を聴きに行ったことはありますが、ちょっと私の考えとは方向性が違うと考えて、以降は何も関わっていません。 それだけなんです。 育休の延長プランのキャッチフレーズになった『3年間抱っこし放題』にも違和感を抱いていました」と関わりを否定している。 2016年の都知事選の際にが応援している• 2017年8月10日の都知事定例記者会見で、知事が公表した豊洲と築地の双方に市場機能を残す方針について財源や運営費など検討した記録が都に残ってないことの所見を尋ねられ、「情報というか、文書が不存在であると、それは""だからです。 私があちこち、それぞれ外部の顧問から、それからこれまでの市場のあり方戦略本部、専門家会議、いろいろと考え方を聞いてまいりました。 いくら金目がかかるかということについては、関係局長が集まった会議で、既にA案、B案、C案、D案と各種の数字が出てきております。 よって、試算については既に公表されているものがあります。 最後の決めはどうかというと、です。 人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます。 」と述べた。 その発言が意味不明であるとして、ネットユーザーが困惑を示したと産経新聞が報じた。 2019年10月17日、2020年東京五輪のマラソンと競歩について国際オリンピック委員会(IOC)が暑さ対策として、会場を東京から札幌に移す計画を発表したことについて、「青天のへきれき」と述べ、「涼しいところでというのなら、総理らが『でやったらどうか』くらいなことを呼び掛けてみるのはありかと思う」等と発言。 2020年3月30日、新型コロナウイルスによる肺炎で死去したタレントのについて、「悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その最後の功績も大変大きいものがあると思っています」と発言したことに対し、「功績」という表現に多くの批判が集まった。 カイロ大学卒業を巡る報道 経歴詐称疑惑 カイロ大学卒業を巡る経歴詐称疑惑は、2016年の東京都知事選挙の際に広く報道された。 同年6月30日放映のテレビ番組『』が学歴詐称疑惑を扱った際、資料として卒業証書と卒業証明書を担当者に送り 、都知事選の選挙公報に「カイロ大学卒業」と記載した 、当選後ものウェブサイトの自身のプロフィール欄に「1976年10月 カイロ大学文学部社会学科卒業」と明記した。 に立候補を表明後、2020年6月4日号に「カイロ大学卒業は嘘」小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 元同居人が詳細証言」と記事が掲載。 卒業証書についても卒業関係書類のロゴやスタンプが異なる点などが指摘されている。 または2020年6月9日付で「小池都知事は『カイロ大学を卒業』 大使館が声明文公開」との記事を示した。 都知事選を控えた、都議会で議員に卒業証書を見せるよう求められ、更に入学から卒業までの経緯を(カイロ大では必修科目)で答えるよう求められた際、「これまでも何度も公開をしてきたつもりである」「喋っても理解出来る人はいないだろう」として拒否する態度を取ったことから、「学歴詐称ではないか」との声が上がった。 2020年6月9日、は、カイロ大学が発表した小池が1976年10月に卒業したことを証明する旨の声明文を、フェイスブックで公開した。 ジャーナリストのがカイロ大学教授のに取材して在籍記録を調べたところ小池が1976年にカイロ大学文学部社会学科をグッドの成績で卒業した記録が残っており、サーレは「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。 これはすごいこと。 10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。 相当に大変だったのではないか」と話していたという。 一方、小説家で ()(カイロ大とは別の米系の大学)大学院修士のは小池のアラビア語は、「とてもよい面会」を「美味しい面会」と言い間違えたり、クウェートの女性大臣とフスハーで話そうとしてしどろもどろになったり、訪問時はほとんど会話にならないといった、「お使い」レベルのアラビア語で、到底大学教育に耐えられるものではないとし 、また小池は『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、1年目に落第し、次の学年に進級できなかったと記述していることから 、卒業には最低で5年かかり、早くても1977年となるため1976年10月卒業と記載されている「小池の卒業証書は信用出来ない」と述べている。 また黒木はエジプトはカイロ大学を含むエジプトの国立大学では小池氏が卒業したと称しているサダト大統領の時代(1970~81年)から不正な卒業証書の発行が行われており、小池の卒業証書はのコネを利用したものだと主張している。 カイロ大学側の反論 一方、週刊文春2020年6月4日号の記事に対してPRESIDENT Onlineでは「カイロ大学卒業は本当」小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 カイロ大学が詳細証言」と反論記事を掲載。 記事では大学に照会し、カイロ大文学部日本語学科の教授から「確かに小池氏は1976年に卒業している。 72年、1年生の時にアラビア語を落としているが、4年生の時に同科目をパスしている。 これは大学に残されている記録であり、私たちは何度も日本のメディアに、同じ回答をしている」との証言があるとしてる。 また卒業関係書類のスタンプやロゴの疑惑についてもカイロ大学の幹部を務めた経験のある男性の話によると「昔、小池氏が国会議員になる時や閣僚になった時など日本のメディアから問い合わせがあった。 念のため大学の記録を調べたが、間違いなく小池氏は76年10月に卒業していた。 」と証言した上で「学部や時代によってスタンプやスタイル、サインが違うということだ。 盗難対策などで数年ごとにそれらを変えていることを知らない人間が勝手に間違えていることを言っているのだろう」と指摘している。 他のカイロ大学関係者も「卒業関係書類は昔は男性形の1つのフォーマットを使い、手書きやタイプライター。 ピンで留め、大学職員が何人かで手作業でスタンプを押していた。 今はさすがに男女の違いはあるが、多くの学生に書類を作成するのは大変な作業で、多少異なる点があるのも当たり前」と解説。 自民党衆院議員時代の小池はカイロ大学学長の招きで学生らを前にスピーチし、学長が「卒業生」として紹介していたこともある。 2020年6月8日、週刊文春2020年6月4日号の記事に対してカイロ大学のモハンマド・エルホシュト学長名は小池都知事は「1976年にカイロ大文学部社会学科を卒業したことを証明する」「卒業証書はカイロ大の正式な手続きにより発行された」「日本のジャーナリストが証書の信ぴょう性に疑義を示したことは「大学と卒業生への名誉毀損(きそん)で看過できない」と声明を出した。 そのうえで「エジプトの法令にのっとり、適切な対応策を講じることを検討している」と警告している。 中央アジア・コーカサス研究所(理事長• (評議員 、政策委員 )。 連盟(会長) 所属団体、議員連盟• (2015年時点に副会長)• (会長) [ ]• 自由民主党資源・エネルギー戦略調査会(顧問)• 自由民主党無電柱化小委員会(委員長)• (副会長)• 自由民主党環境・温暖化対策調査会(顧問)• 自由民主党安全保障調査会(顧問)• 自由民主党観光立国調査会(顧問)• 自民党どうぶつ愛護議員連盟(会長) [ ]• (顧問)• (副会長)• 衆議院日仏友好議員連盟(副会長)• シリア難民支援議員連盟(会長)• 無電柱化推進議員連盟(会長代理) 年譜• (46年) - 卒業。 に入学(のちに中退)。 (昭和51年) - 社会学科卒業• (昭和54年) - 『』に就任( - 3月)。 (昭和60年) - 『マネー情報』キャスターに就任。 (昭和63年) - テレビ東京『』初代メインキャスターに就任。 (4年)7月 - に初当選(公認・)。 (平成5年)• 7月 - に初当選(日本新党公認・)。 - に就任( - )。 (平成6年)• - 日本新党解党、結成に参加。 (平成8年)10月 - 衆議院議員に再選(新進党公認・)。 (平成9年)12月 - 新進党解党。 (平成10年)1月 - 結成に参加。 (平成11年) - に就任。 (平成12年)• 4月 - 自由党離党、結党に参加。 - 経済企画総括政務次官に再任( - )。 (平成12年)6月 - 衆議院議員3選(保守党公認・兵庫6区)。 (平成14年)12月 - 保守党解党、に入党。 (平成15年)• - に就任。 11月 - 衆議院議員4選(自由民主党公認・)。 (平成15年) - 環境大臣に再任。 (平成16年) - 内閣府(沖縄及び北方対策)を兼任。 (平成17年)• 9月 - 衆議院議員5選(自由民主党公認・)。 - 環境大臣・内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)に再任。 (平成18年) - (国家安全保障問題担当)に就任。 (平成19年)• - に就任( - )。 (平成20年)9月 - に立候補。 、に次ぐ得票数3位で落選。 (平成21年)• 8月 - 衆議院議員6選(自由民主党公認・)。 10月 - 自由民主党広報本部長に就任。 (平成22年)9月 - に就任( - 2011年9月)。 (平成24年)12月 - 衆議院議員7選(自由民主党公認・東京10区)、自由民主党広報本部長に就任。 (平成25年)• 4月 - 社外取締役に就任。 6月 - の新会長に選任(女性初) ( - 9月)。 (平成26年)12月 - 衆議院議員8選(自由民主党公認・東京10区)。 (平成28年)• 7月 - に大臣経験がある初の女性国会議員として立候補し当選。 立候補に伴い衆議院議員を自動失職。 8月 - に就任(女性初 )。 (平成29年)• 4月 - 地域政党「」の特別顧問に就任。 6月 - 都民ファーストの会代表に就任。 7月 - 都民ファーストの会代表を辞任。 特別顧問に就任。 9月 - 国政政党「」を設立し、代表に就任。 11月 - 希望の党代表を辞任。 特別顧問に就任。 1982年10月 『振り袖、ピラミッドを登る』 講談社、• 1985年4月 『おんなの人脈づくり サクセスウーマンのPassport』 太陽企画出版、• 1994年6月 『永田町ブロードキャスター』 朝日新聞社、• 週刊朝日に連載した「永田町リポート」と、書き下ろした「日本新党の行方」を収録。 2007年4月 『小池式コンセプト・ノート プロジェクトは「大義と共感」で決まる! 』 ビジネス社、978-4828413518• 2007年10月 『女子の本懐 〜市ヶ谷の55日〜』 文春新書、• 2008年10月 『もったいない日本』 主婦と生活社、• 2009年7月 『ふろしきのココロ』 小学館、• 2009年10月 『議員と官僚は使いよう』 小学館101新書、• 2011年6月 『発電する家「エコだハウス」入門』 プレジデント社、• 2014年9月 『自宅で親を看取る 肺がんの母は一服くゆらせ旅立った』 幻冬舎、 共著• 1995年12月 パラダイム・ファクトリー著『日本破局のシナリオ 待ったなし、日本再生構想』 新講社、• 2001年8月 ほか編『一問一答金庫株解禁等に伴う商法改正』 商事法務研究会、• 共編集。 他の編集者:、、、、。 2001年12月 『対論:テロは日本を変えたか』 広済堂出版、• との共著。 2002年11月 監修『私が総理になったなら 若き日本のリーダーたち』 角川書店、• 、、、、、、、、小池百合子、ほか29名による共著。 2005年4月 懇談会編著『環境ビジネスウィメン』 日経BP社、• 小池百合子、染谷ゆみ、善養寺幸子、堤恵美子、キャシー松井、薗田綾子、安井悦子、鈴木敦子、枝廣淳子、崎田裕子、谷みどりによる共編著。 2008年7月 TPL著『東京WOMEN大作戦』 小学館、• 小池百合子、、による共著。 2009年7月 『南地中海の新星リビア 高まる日本への期待』 同友館、• 畑中美樹との共著。 2013年12月 『異端のススメ』 宝島社、• との共著。 2015年7月 『無電柱革命』 PHP新書、• との共著。 対談等• 1992年10月 著『カイロ 世界の都市の物語 10』 文藝春秋、• 「ケイオスティック・カイロ」を寄稿。 1993年9月 著『日本人の死角』 徳間書店、• 対談「私は政治改革のモルモット」を収録。 1999年3月 、政策学校〈一新塾〉著『新しい日本をつくるために私ができることあなたができること』 ダイヤモンド社、• 第3章に「政治を変える、日本を変える」 を寄稿。 2001年2月 、著『富める貧者の国 「豊かさ」とは何だろうか』 ダイヤモンド社、• 鼎談「機能不全に陥った日本型システム」を収録。 監訳書• 2017年 、ホルガー・ラスゲバー著、訳『ナディアが群れを離れる理由』ダイヤモンド社 論文• 脚注 [] 注釈• 国連発足時からの公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語の5言語であったが、1973年の第30回総会においてアラビア語が追加された。 詳細は参照。 ピラミッドへの登頂は、遺跡の保護と墜落事故防止のため、1983年にエジプト政府により禁止されている。 小池がカイロ大学を「首席で卒業」と述べている自著は『振り袖、ピラミッドを登る』(講談社、1982年10月)と『3日でおぼえるアラビア語 第1版』(学生社、1983年5月)。 この時は、テレビ東京専属の「パーソナリティー」(事実上の局アナ業務担当)。 2007年3月付の公電によれば、小池の前任のは、仲井真に環境影響評価で協力するよう同意させるためには、50メートルの修正が必要である、とメアに強く述べている• 2007年7月の参議院選挙で与党は大敗している。 時事通信 2016年7月31日. 2016年7月31日閲覧。 [ ]• PRESIDENT Online. 2020年5月27日. 2020年5月27日閲覧。 東京都 2016年8月2日. 2016年8月1日閲覧。 2019年2月22日閲覧。 2016年8月1日. デイリー新潮. 2016年12月27日. 2020年6月9日閲覧。 『女帝 小池百合子』文藝春秋、2020年5月30日、36-37頁。 (週刊朝日 2016年8月19日号より抜粋)。 石井妙子『女帝 小池百合子』文藝春秋、2020年5月30日、50-53頁。 ARAB NEWS JAPAN. 2019年7月6日. 2020年6月10日閲覧。 ダイヤモンド・オンライン. 2017年3月6日. 2020年6月9日閲覧。 小池百合子『振り袖、ピラミッドを登る』、1982年10月。 朝日新聞. 2018年6月15日. 2020年6月9日閲覧。 小池百合子『3日でおぼえるアラビア語』学生社、1983年5月、第1版。 『サンケイ新聞』1976年10月22日付朝刊、15版、18面、「エスコート役に芦屋のお嬢さん 25日来日のエジプト大統領夫人 小池百合子さん 令嬢とは同級生 カイロ大新卒、唯一の日本女性」。 1985年4月11日夕刊より。 『小池式コンセプトノート』P235• テレビ東京 カンブリア宮殿 2016年9月29日. 2016年11月5日閲覧。 [ ]• SJWRT. 2016年6月21日閲覧。 『女帝 小池百合子』文藝春秋、2020年5月30日、164頁。 毎日新聞. 2007年8月3日• アサヒコム 2007年8月11日配信など• 2007年8月10日• 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小池百合子氏「卒業証明書」提示、偽造私文書行使罪の可能性【追記あり】(郷原信郎)

小池 カイロ 大学

虚言に塗り固められた小池百合子という女性政治家の「正体」を見事に描き切った石井妙子氏の著書【女帝 小池百合子】は、政治家に関連する本としては異例のベストセラーとなっている。 黒木亮氏は、ネット記事での追及を続けている。 これらによって、小池氏の華々しい経歴と政治家としての地位の原点となった「カイロ大学卒業」が虚偽である疑いは一層高まり、都議会本会議での追及も行われている。 虚偽事項公表罪による刑事責任追及の「壁」 前回記事【】では、「カイロ大学卒」の学歴が虚偽である疑いが指摘されている中で、小池氏が都知事選挙に立候補し、これまでの選挙と同様に、選挙公報に「カイロ大学卒業」と記載した場合に、告発が行われるなどして検察の捜査の対象とされ、公選法違反(虚偽事項公表罪)で処罰される可能性について検討した。 検事がエジプトに派遣されて司法当局の大学関係者への事情聴取に立ち会うという「海外捜査」によって、「カイロ大学卒業の事実があったのか、なかったのか」という客観的事実が明らかになる可能性もあり、石井氏の著書に登場する小池氏のカイロ時代の同居人の女性の証言、小池氏の著書での記述や発言に重大な矛盾があることなど、小池氏の説明を疑う証拠は豊富であり、刑事事件の捜査で真実が明らかになる可能性も十分にある。 しかし、検察が虚偽事項公表罪を適用する上で最大のネックになるのは、黒木氏が【】で指摘しているように、カイロ大学の権力を完全に掌握しているのは軍部・情報部で、日本からのメディアの取材に対して、カイロ大学が卒業を認めることを繰り返してきた背後には、カイロ大学文学部日本語学科長のアーデル・アミン・サーレハ氏らハーテム人脈を頂点とするエジプトの軍部・情報部と大学の権力階層構造があるという政治的背景だ。 カイロ大学側が「小池は卒業した」と言い通せば、その説明がどんなに怪しくても、「カイロ大学卒業」が虚偽であることを立証するのは容易ではない。 そういう意味では、虚偽事項公表罪による刑事責任追及には、高い「壁」があると言える。 「卒業証明書」偽造をめぐる疑惑 「学歴詐称」疑惑に関連する、もう一つの犯罪の容疑と言えるのが「卒業証明書」偽造疑惑だ。 この問題について、黒木氏は、6月5日のと題する記事で、「卒業証明書」の偽造の疑いについて総括している。 小池氏は、前回の都知事選の際、フジテレビの2016年6月30日放送の「とくダネ!」で、唯一文字が判読できる形で「卒業証明書」を提示した。 黒木氏は、その番組のスクリーンショットから、小池氏の卒業証明書は、最重要要件である大学のスタンプの印影がいずれも判読不明であることなど、証明書として通用しない代物だと指摘している。 また、文章が男性形で書かれていること、4人の署名者のうち2人の署名しか確認できないことなど不自然な点が多々あることを指摘している。 また、石井妙子氏は、(文春オンライン)で、『振り袖、ピラミッドを登る』の扉に掲載された卒業証書のロゴとフジテレビで放送された卒業証書のロゴが異なることを指摘している。 これらの指摘のとおり、小池氏の「卒業証明書」が不正に作成されたものであったとすると、小池氏の行為にどのような犯罪が成立するだろうか。 まず、国外犯処罰との関係では、刑法3条で、有印私文書偽造は日本国民の国外犯処罰の対象とされているので、小池氏が犯罪に関わっているとすれば処罰の対象になる。 しかし、偽造行為があったとしても、40年も前のことなので、既に公訴時効が完成している。 そこで問題になるのは、「卒業証明書」について、偽造有印私文書の「行使罪」が成立しないかという点だ。 4年前のフジテレビの「特ダネ」での提示は、「行使」と言えるので、卒業証明書が「偽造有印私文書」に当たるのであれば、公訴時効(5年)は完成しておらず、処罰可能ということになる。 「偽造有印私文書」とは 「偽造有印私文書」に該当するか否かに関して重要なことは、「卒業証明書」の作成名義が誰なのか、そして、その作成名義を偽ったと言えるのかどうかである。 広い意味の「文書偽造」には、「有形偽造」と「無形偽造」がある。 有形偽造とは、作成名義を偽るもの、つまり、名義人ではない者が勝手にその名義の文書を作成することである。 無形偽造とは、名義人が虚偽の内容の文書を作成することである。 公文書については、「虚偽文書の作成」も処罰の対象となるが、私文書については、作成名義を偽る有形偽造しか処罰の対象にならない。 つまり、小池氏が提示した「卒業証明書」が、その証明書を作成する権限を持つ人が署名して作成したものであれば、卒業の有無について虚偽の内容が書かれていても、「偽造有印私文書」にはならないのである。 「卒業証明書」の「作成名義」 では、小池氏の「卒業証明書」の作成名義が誰なのか、この点については、黒木氏の上記記事だけからはわからなかったので、ロンドン在住の黒木氏に直接連絡をとって尋ねたところ、以下のように解説してくれた。 小池氏の卒業証明書の右上にはカイロ大学の文字が下にあるカイロ大学のロゴ(トキの頭を持ったトト神)があり、大学の文書として発行されています。 書いてある文章自体は、「文学部は日本で1952年7月15日に生まれた小池百合子氏が1976年10月に社会学の専攻・ジャイイド(good)の成績で学士を取得したので、彼(男性形)の求めにもとづき、関係者に提出するためにこの証書を発行した」と書いてあります。 要は大学の用紙を用いて文学部長が発行したという体裁になっています。 その下に、右からムハッタス(specialist)、ムラーキブ(controller)、ムラーキブ・ル・アーンム(general controller)の署名欄があり、スクリーンショットでは真ん中のムラーキブのところしか署名が見えません。 その右のムハッタスの署名欄の線が滲んで見えるので、もしかするとサインがあるのかもしれません。 また3つのサインの下にアミード・ル・クッリーヤ(学部長)の署名欄があり、一応サインがありますが、当時の学部長のサインではありません(もしかしたら代理サインとかかもしれませんが、まったく読めません)。 黒木氏の上記解説からすると、「卒業証明書」が、「カイロ大学文学部長」の作成名義の文書であることは間違いないようだ。 問題は、その学部長の署名欄に、学部長ではないと思える人のサインがあるということだ。 それが、学部長として卒業証明書を作成する権限を有する人のサインであれば、仮に卒業した事実がないのに卒業したと書かれているとしても「無形偽造」であり、「偽造有印私文書」には該当しない。 もし、学部長欄の署名が、学部長として証明書を作成する権限がない者によるものであったとすれば、学部長の作成名義を偽ったということであり、「有形偽造」に該当し、「偽造有印私文書」に該当することになる(「有印」には、印章だけではなく署名も含まれる)。 「卒業証明書」についての「偽造有印私文書行使罪」の成否 小池氏の「卒業証明書」については、以下の4つの可能性が考えられる。 (1)カイロ大学で正規の手続で作成発行された文書 (2)カイロ大学内で、大学関係者が関与して、非正規の手続ではあるが、学部長の権限を有する者が作成した文書 (3)作成権限のないカイロ大学関係者が、大学の用紙を使って文学部長名義で不正に作成した文書 (4)カイロ大学とは無関係な者が、正規の卒業証明書の外観に似せて不正に作成した文書 このうち、(1)であれば何ら問題はないが、そうであれば、小池氏が、卒業証明書の提示を拒否することは考えられないので、この可能性は限りなく低いと考えるべきであろう。 一方、(3)、(4)のいずれかであれば、「偽造有印私文書」に該当することは明らかだ。 問題は(2)の場合だ。 この場合は「無形偽造」と考えられるので、「偽造有印私文書」に該当するとは言い難い。 偽造に関する刑事責任を問われることはないということになる。 しかし、卒業証明書を提示すると、その作成手続が正規ではないことが問題にされ、正式に卒業していないことが証明される可能性が高い。 それが、小池氏が提示を拒んでいる理由とも考えられる。 (2)か(3)(4)かで、刑事責任の有無が異なるが、その点は、黒木氏が指摘する「学部長の署名欄」のサインが誰によるものか、その人が学部長の代理権限を持っていたのかによって判断が異なることになる。 結局のところ、小池氏の「卒業証明書」が、刑法上の「偽造有印私文書」に該当するのか否かは、現時点ではいずれとも判断ができないが、黒木氏の記事及び解説からすると、少なくとも、「カイロ大学の卒業証明書」として使用することに重大な問題がある文書であることは疑いの余地がない。 もし、小池氏が提示しようとしないのであれば、出馬会見の場に参加した記者は、提示を強く要求し、提示がなければ会見を終了させないぐらいの強い姿勢で臨むべきだ。 それを行わず、やすやすと小池氏の出馬会見を終わらせるようであれば、その会見に出席した記者達は、「東京都民に対する職責を果たさなかった記者」としての非難を免れないということになる。 一方で、小池氏が、卒業証明書を提示し、それが実は、上記の(3)か(4)であることが明らかになった場合には、その提示行為が「虚偽有印私文書」の「行使罪」に該当することになる。 小池氏が、これ以上「卒業証明書」の提示を拒むのであれば、新たな「犯罪」に該当するリスクを避けたいからと推測されても致し方ないだろう。 いずれにしても、公訴時効が完成していない4年前のフジテレビ番組での提示の行為がある以上、「学歴詐称」による公選法の虚偽事項公表罪に加えて、「偽造有印私文書」の「行使罪」で告発される可能性は十分にある。 これまで、小池氏の「学歴詐称」疑惑について、現地取材も含め、長年にわたる取材を重ねてきた黒木氏は、もし、小池氏について、「学歴詐称」の虚偽事項公表罪や、「卒業証明書」の私文書偽造・行使事件について、 検察が捜査することになった場合には、まだ開示していないものも含め、手元にある資料をすべて提供し、全面的に捜査に協力し、必要があれば裁判で証言する と明言している。 6月18日の東京都知事選挙の告示まで2週間を切ったが、小池百合子氏は、近く再選出馬を表明することは確実と見られている。 でも書いたように、「小池都政」には、豊洲市場移転問題を始めとする欺瞞がたくさんある。 小池氏のような人物に、今後4年間の東京都政を委ねてもよいのか、改めて真剣に考えてみる必要がある。 新型コロナ感染対策でのパフォーマンスに騙されることなく、「小池百合子」という人物の正体を十分に認識した上で、都知事選に臨むことが、東京都の有権者にとって必要なのではなかろうか。 【追記】 6月9日午後3時頃、在日本エジプト大使館がフェイスブックで声明文を公開した。 声明では、「カイロ大学は、1952年生まれのコイケユリコ氏が、1976年10月に、カイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」、小池氏の卒業証書は「カイロ大学の正式な手続きにより発行された」と説明。 「日本のジャーナリスト」が信頼性に疑問を呈したことについて、「カイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損(きそん)であり、看過することができない」としている。 この声明について、小池氏は、9日夜「内容はまだ読んでいないが、これまで何度も申し上げてきたように、卒業を決めるのも証書を出すのも大学という意味で、これまで色々言われてきたことがクリアになったのかなと。 ひとつの証になるかと思う」と述べた(ANNニュース)。 今回のカイロ大学の声明は、エジプト大使館のフェイスブックに掲載された。 この声明にエジプト大使館が公式に関わっているとすれば、なぜ、小池氏の個人的な問題に、エジプト大使館が関わるのかという疑問が生じる。 私が述べているのは、小池氏が2016年6月の前回都知事選挙の直前に、フジテレビの番組「とくダネ!」に対して送付した「卒業証書」「卒業証明書」が、黒木亮氏が指摘するとおり、正式の文書ではないと疑う理由が多数あり、仮に、それが「偽造有印私文書」に当たるのであれば、まだ5年の公訴時効が完成していないので、偽造有印私文書行使罪で処罰可能になるということだ。 そこで問題にしているのは「卒業証明書」だが、カイロ大学の声明は「小池氏の卒業証書」が正式な手続により発行されたと述べている。 しかも、石井氏の著書によれば、小池氏は、1982年の著書「振袖、ピラミッドを登る」に掲載したものを始め、過去に3回、「卒業証書」を不完全な形で提示しており、カイロ大学が、「小池氏の卒業証明書」が正式に発行されたというのであれば、それが、具体的に、どの文書のことを言っているのか特定しなければ意味がない。 そもそも、この「卒業証書」「卒業証明書」の問題は、小池氏が、一度、フジテレビに提示したことがある文書のことであり、それらを、改めて正式に提示すれば何の問題もなく解決する話だ。 小池氏がそれを頑なに拒否する一方で、エジプト大使館が関わって、カイロ大学の声明まで出された。 それによって、国際的な問題に発展したと言える。 これまで「学歴詐称」「偽造卒業証書」の疑惑を、巧みにすり抜けてきた小池氏だが、都知事選挙告示を直前に控えた時期に出された「カイロ大学声明」は、小池氏にとって有利に働くとは思えない(理由は不明だが、6月10日の都議会閉会後に行うと報じられていた小池氏の都知事選挙への出馬表明は見送りとなった。

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