二ノ 国 映画 評価。 映画『二ノ国』レビュー、厳しい現実と向き合うか、都合のいいファンタジーで生きるか

二ノ国(映画)が酷い・つまらないと酷評!ドラクエとの比較も!

二ノ 国 映画 評価

公開早々に 「『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』より酷い!」というなかなか強烈な評が出回ってしまったが、公開前にムビチケを買ってしまっていたので、仕方なく観に行って来た。 以下、あくまでもゲーム版未経験のぼくによる感想。 ヒロインの永野芽郁の声がとにかく浮いている。 ただし、これは永野さんだけのせいとは思えない。 永野さんの芝居の魅力は、ある意味つっけんどんと言えるあの身体性をともなった発声だ。 それを生身の身体から剥がして、ほぼそのままアニメ絵に当てているのだから、浮きまくるに決まっている。 結果、「アニメの背景で永野芽郁の声が聞こえていた」だけとなった。 これはキャスティングしたスタッフ側の責任でもある。 ただ、永野さんの件を抜きにしても、 アニメとしてのスペクタクル、視覚的な快楽がないので2時間ずっと退屈である。 『プロメア』のあの独特の省略表現、色彩の何度も観たくなる中毒性がなければ、『この世界の片隅に』のような優しい絵柄で残酷な現実を描き出すギャップの衝撃があるわけでない。 ただただ平凡だ。 本作の主な舞台は現代(=一ノ国)と、そして二ノ国というもう1つのファンタジー世界だ。 何より痛いのはこの映画を観ていて 一瞬たりとも「二ノ国に行ってみたい!」と思えないところだ。 そう思えないのは、単にぼくが老成してしまったからだろうか? いやいや、そんなことはない。 ファンタジーでもなんでもない、ほんとは退屈なはずの昭和なのに。 そうした「行ってみたい!」の魅力がこの映画の二ノ国には全くない。 表情の乏しいキャラクターたちを見ていたら、どこか既視感を覚えたが、あれだ。 学校で見る道徳の教材のアニメや、 某新興宗教団体が関与しているアニメ映画のそれである。 その手のアニメはだいたい後半から思想が強くなっていき、コクが出てくるのがある意味楽しみの1つだが、本作にはそれもないから余計に辛い。 本作に足りないものは明確。 宗教もしくは思想である。 結論を言えば、あまり観るべきところのない、つまらない映画である。 かといって、酷い方向に突出もしていない。 このぐらいの出来の映画なんて無数にあるだろう。 ひどく凡庸な一作だった。 この映画を「クソ・オブ・クソ」「人類に対する挑戦」とばかりに罵る風潮には疑問が残る。 観ないでクソクソ騒いで面白がっているのは論外だが、観た上でそこまで言うのもちょっと違和感がある。 別にそれは「作った人がいるのだからバカしてはダメ」というナイーブなことが言いたいわけでも、「俺はもっと酷い映画を観ているぜ」とマウンティングがとりたいわけでもない。 どこの誰がそんなマウンティングとりたがるのだ。 何もかもをクソ映画に認定していたら、ガチのクソ映画が襲いかかってきたときに、きちんと面白がれなくなると思うのである。 神作かクソ作か。 その幼稚な2択ではなく、そのあいだのグラデーションを注意深く吟味していく。 その先でこそいつか、目も眩むような神作と、何もかもを飲み込むブラックホールのような漆黒のクソ作に出会えると思うのだが、どうだろう。

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二ノ国(にのくに)映画の評判まとめ!面白いかつまらないか感想を調査

二ノ 国 映画 評価

前情報では、かなり期待してたんだけどね・・・。 前情報では絵がジブリに似てるってことでも話題になっていた作品ですが、それもそのはずで本作はゲーム原作なのですが、ゲームの方については スタジオジブリが製作協力しています。 そして監督には、ゲーム版でアニメーションを担当し、スタジオジブリでも作画監督を歴任した経験を持つ 百瀬義行さんを据えました。 加えて、ゲーム版から引き続き劇伴音楽については 久石譲さんが担当ということでこの時点でジブリ臭が凄いですよね。 というよりも、そもそも 『二ノ国』というゲームの企画がプレイヤーが自分でジブリのアニメーションを動かしているような感覚になれるというのを大きな売りにしていた作品だったんですよ。 また今回はゲーム版と世界観を共有するものの、完全オリジナルプロットということだったので、ゲームとは違う展開も期待しつつ公開を心待ちにしていました。 ということで早速鑑賞してきましたので、作品について語っていきたいと思います。 本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。 作品を未鑑賞の方はお気をつけください。 良かったら最後までお付き合いください。 映画『二ノ国』 あらすじ 車椅子生活を送る高校生 ユウは、学校でトップクラスの成績を誇る秀才である。 一方のバスケ部のエースで人気者 ハルは彼の幼馴染だ。 そして、 ハルは ユウの幼馴染でもある コトナと付き合っているのだが、 ユウもそんな彼女に密かに好意を寄せていた。 ある日の夕方、 コトナは謎の男に後をつけられ、2人に助けを求める。 先に彼女のもとに辿り着いたのは、 ユウだったが既に彼女は謎の男にナイフを突き立てられ、意識を失っていた。 ハルは到着するや否や、 ユウの静止を振り切り、彼女を病院まで運びこもうとするが、大通りで3人はトラックに轢かれそうになる。 その時、 ハルと ユウは突然「二ノ国」と呼ばれる異世界へと飛ばされてしまう。 一緒にこの世界に迷い込んでしまったであろう コトナを探して、街をうろうろとする2人。 すると偶然立ち寄った酒場に貼られていた張り紙に コトナにそっくりな少女の姿が映し出されていた。 何と、彼女は「二ノ国」にあるエスタバニア王国の王女だったのである。 スタッフ・キャスト とにかく放送当時から設定や脚本、演出の詰めの甘さが視聴者から徹底的に指摘され、「強いられているんだ!」に代表される謎のセリフ・謎演出たちはネタにされてしまっていました。 しかも余計な展開やエピソードを詰め込みすぎて、メインプロットが完全に消化不足に終わり、さらには女性を「産む機会」としか見ていないような残念な扱いも批判されました。 そういった 日野晃博さん脚本・構成の悪いところが全部出ているのが 映画『二ノ国』なんだという見方もできると思います。 監督を務めたのが、昨年スタジオポノックの短編集の中で『サムライエッグ』の監督を務めていたことでも知られる 百瀬義行さんです。 人物の動きをダイナミックに表現することに長けていて、アングルや構図にもすごく挑戦的な姿勢が垣間見える素晴らしいアニメーターだと思っていたんですが、如何せん今作 『二ノ国』についてはすべてが平凡でした。 アニメーションスタジオは、ポケモンやレベルファイブ作品のアニメーションを手掛けることが多い オー・エル・エムでした。 撮影や編集あたりは、正直かなりひどくて、映画としては見てたものじゃないな・・・って印象です。 音楽には 久石譲さんが参加し、ここはしっかりとした美しい音色で作品を辛うじて纏めてくれています。 永野芽郁さんは個人的には好きな女優ですし、演技面については朝ドラの主役を張ったこともあり、かなり幅も広がってきてはいるんですが、ボイスアクトについては「 永野芽郁」以外のキャラクターを演じられてないんですよね・・・。 キャラクターにその声のボリューム、トーン、雰囲気があっているかどうかは関係なく、とにかく「 永野芽郁」でしかないのです(笑) 今回も コトナと アーシャ姫という2つの役を1人で演じたわけですが、全く演じ分けられておらず、ここについは本職の声優を使うべきだったと思いますよ。 その他の声優陣は豪華な顔ぶれで、ヴィランであるガバラス役には「悪役と言えばこの人」とも言える 津田健次郎さんが起用されています。 より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!! ぜひぜひ劇場でご覧ください!! 映画『二ノ国』感想・解説(ネタバレあり) 命を選ぶより前に、セリフを選べ! 映画を見に行く前からSNS上などで酷評意見をさんざん目にしてから、劇場に向かったので、正直それほど期待値は下がってました。 ということもあってかストーリーそのものがそれほど悪いとは思いませんでした。 日野さん脚本特有のメインプロットの風呂敷を広げすぎて畳み切れていない感じや絶対要らないだろってシーンをガンガンに盛り込んでくるあたりは確かに相変わらずでした。 ただ、今回特に酷かったのは「セリフ」ですよ。 『機動戦士ガンダムAGE』の時も、不思議なセリフが見ていたアニメファンの間で話題になるほどでしたが、今回の 『二ノ国』もとにかくセリフの言葉選びにセンスを感じませんでした。 みなさんがどう感じられたのかは分かりませんが、個人的に ユウ「サキ姉をサキ姉と呼んだ。 」 というセリフが一番面白くて、笑い転げそうになったんですよね。 これは本作の隠れヴィラン(だけどあんまり隠れていない)であるヨキに対して、 ユウがなぜ怪しんだのかを「探偵の推理解説」的なノリで語り始めるシーンで使われるセリフです。 ユウが自分のお姉さんに対して、謎の男が「サキ姉」と呼んだことからヒントを得て、その事実を知っているのはヨキだからという推理構造でして、それを盛大に指摘する時のセリフが上記のものです。 普通であれば、「俺の姉をサキ姉と呼んだ。 」といったセリフにしませんか。 「AをBと呼ぶ。 」という日本語を使う際にAとBが同じ言葉ってそりゃあんまりでしょうに。 他にも、今作では「仮説」という言葉を都合よく使いすぎだと思いました。 というのも登場人物が特に「二ノ国」の世界について確固たる証拠を持って把握したわけでもないのに、「仮説」という言葉を利用しているのを良いことに、好き勝手に解説していくスタイルは見るに耐えないものがあります。 「これは仮説だが、ここは異世界だ。 」 「これは仮説だが、この世界では勝手に役が振られるみたいだ。 」 仮説で物事を喋って、物語を展開するんじゃねぇ!!きちんとファクトチェックしやがれ! と、叫びたくなるくらいにセリフが支離滅裂ですし、登場人物の心情に一貫性のないセリフばかりでこれでは演じても厳しいだろうと思います。 個人的に一番気になったのは、 ハルと ユウの2人が海辺で口論していて、その時に 「二ノ国なんか夢の話だろ。 」といったニュアンスのセリフで激高した ハルが、その後二ノ国に飛ばされた時の第一声が 「ここは・・・二ノ国か。 」という非常に冷静なものだったところですね。 ついさっきまで夢とか妄想とか言い張っていた人間が、再び異世界に飛ばされて、驚かないってどういうことです・・・? こんな具合にとにかく登場人物の感情を表現するセリフとして一貫性に欠けているので、キャラクター像を掴みにくいのはもちろんとして、心情を声に乗せるのも難しかったのではないでしょうか。 そんななかでもきちんとキャラクターに命を吹き込んできた本職の声優陣は流石だと思いましたし、逆に 永野さんには同情の余地はあるかなと思いました。 なぜ車いすを使わなければならなかったのか? C 2019 映画「二ノ国」製作委員会 SNSなどでも車いすの描写についてかなり批判的な意見があるようですが、個人的には、大前提としてこの 『二ノ国』において ユウが車いすを使っている設定にする意味が分からないんですよね。 まず、冒頭の彼が車いすであるが故に、ハルとコトナと一緒に階段の上のカフェに行けないという描写は本当に酷いと思います。 それだけにとどまらず、 ユウに 「俺はお邪魔だろうからあとは2人でどうぞ。 」みたいなセリフを吐かせて、身を引かせる始末ですからね。 これは酷すぎて、開いた口がふさがりませんでした・・・。 あとは、既にほかの方も指摘していましたが、電動車いすの設計が甘すぎますよね。 明らかに実物を見て、作画したものではないと思いますし、あんな電動車いすが使えると思っているなら、少し勉強しなおした方が良いと思います。 冒頭のパートを見ていて、個人的には、 ユウが自分の足で歩けない設定の意味って、彼の劣等感を浮き彫りにさせるためのものでしかないんじゃないかと思いました。 もっと作品の展開上重要な意味があるのであれば、全然良いと思うんですが、ただ足に障がいを抱えているために行動に制約があり、好きな人にも振り向いてもらえないというコンテクストを描きたいだけなのであれば、不誠実すぎます。 しかも物語の後半に、花屋にサキ姉を助けに行ったシーンで、突然謎の男が巨大なクモに変身して彼らに襲いかかってきます。 このシーンで ハルたちはサキ姉の車で逃げることになるのですが、最大の疑問は 「いつ車いすを後部座席に積む暇があったんだよ!」という点です。 すぐにでも逃げないと追いつかれるという状況で、車いすを装置を使って車内に積み込んでいる暇はないはずですよね。 何か社会的なメッセージを組み込めると思い、障がいのあるキャラクターを用意するという方法だけが先行してしまい、結果的に製作陣は途中でその設定が邪魔に思えてきたんでしょうね。 それくらいにこのシーンにおける ユウの扱いは残念過ぎたと思います。 そして極めつけはラストシーンですよ。 私は冒頭に ユウが車いすで階段を上れずに身を引いた場面を経て、 ハルが「また今度ユウ遠回りして一緒に行けば良いじゃん」的なセリフを言っていたのは、一応伏線で、回収されるものだと思っていたんです。 だからこそエピローグのシーンで、 ユウはいなくなってしまいましたが、 ハル(二ノ国の ユウと繋がっている)と コトナは2人(3人)で約束のカフェに遠回りして行くという展開が描かれるんだと思っていました。 そこで、今作が描いたのは、まさかの「あの階段」を2人が上ってあのカフェの方角へと向かって行くという描写なんです・・・。 正気かよ!!と思わず叫んでしまいそうになりました。 一番ダメなラストシーンにしてしまったと思いますし、このラストシーンにするなら絶対に ユウを足が不自由な青年として描くべきではなかったと思います。 そういった描写から感じられる誠実さが一切ないために、すごく障がいを抱えて生きている方々に対して失礼な映画になってしまっているとも感じられました。 このあたりはいくら何でも擁護のしようがないのかなと思います。 伏線とネタバラシを全部セリフでやりくりするな! 最初に本作のセリフの内容が酷いということは書きましたが、それと共に書いておきたいのは、とにかくセリフで物語の世界観から設定から、ルールまで何でも話してしまう異常性です。 しかも、登場人物が大して情報もない状態で勝手に仮説を立てて、物語を進めていくという雑さなので、見ている我々は完全に置いていかれてしまうんですよね。 そして一番酷かったのが、本作の最大の伏線となるとある設定をセリフだけで強引に観客に伝えようとしたところですよ(笑) 今作最大のサプライズと言えば、やはり 「ユウ=二ノ国にいるハルと繋がった存在」という点になるでしょう。 そのサプライズにたどり着くために観客が得ておかなければならない情報というのは、 ユウと ハルが似た者同士であるということです。 完全に観客を脅して、「これ伏線だからな!覚えとけよ!」と洗脳してきてるよこれ・・・。 大体、サキ姉や コトナとつながった二ノ国の人物は容姿までしっかりと似ているのに、 ユウと ハルに関しては全く似てませんからね。 その辺りの設定や展開の荒唐無稽さにはドン引きでした。 さらに言うと、本作の最後のネタバラシって全て ハルの独白なんですよね。 しかもここでも「仮説」という便利ワードを使用して、絶妙にぼやかしています。 映画なんだから映像で勝負しろよ!セリフでごまかしてんじゃねえ!と思わず怒鳴りたくなってしまう作品でした。 映画は視点が必要だ C 2019 映画「二ノ国」製作委員会 これって 日野晃博さんがゲームプロットなんかを書いているからこその長所であり、短所なのかもしれませんが、 映画『二ノ国』ってとにかく中心となる視点が1人の人物に定まっていません。 ゲームであれば、この問題は基本的に生じません。 なぜならどんな物語であっても、ゲームにはユーザーがいて、彼らが主体となるからです。 ゲームのプロットはその中にキャラクターを内包していても、個々のキャラクターに視点があるわけではなく、それを扱うユーザーの視点で物語を見ることになるので、視点を明確にする必要はあまりありません。 ただ、そのメソッドを映画に持ち込んでしまうと当然のように破綻します。 なぜなら、映画とは観客が他人の物語を追体験するメディアであり、観客が視点になることはできないからです。 今作 『二ノ国』は ユウと ハルをある種のW主人公的に据えてはいるんですが、とにかくどちらの視点から物語を描くという点に一貫性がないので、見ている方としても混乱するんですよね。 例えば、冒頭のシーンは明らかに ハルを主人公にする意図が感じられるような視点になっていましたが、二ノ国に行った途端に ユウが主人公化のように物語が切り替わります。 本作は作中で2人の視点の入れ替わりが頻繁に起きるので、非常に物語を追いづらい構成になってしまっています。 『ブレイブストーリー』という宮部みゆきの小説の映画版がありましたが、これが本作 『二ノ国』に近い構成です。 ただ同作は、ワタルとミツルというW主人公チックな作劇ながら、あくまでも主人公の視点をワタル1人の視点に絞ってあるので、非常にストーリーテーリングはまとまっています。 このように本作も、予め ユウの視点か ハルの視点かどちらかに主導権を握らせることを明白にして、その上でストーリーを作り上げていくべきだったと思います。 『二ノ国』は映画というメディアが視点が曖昧になると、これほどまでに見にくいものになるという非常に良い例だったと思います。 ファンタジー映画としてダメダメ まず 『二ノ国』という作品は、一ノ国と二ノ国を行き来するところが1つ特徴的なポイントで、そこが他の異世界ファンタジーとは違うところとも言えます。 脚本・原案の 日野晃博さんもインタビューの中でこう答えています。 脚本にした状態で久石さんのところに持っていったら、久石さんから 「今まで『二ノ国』のゲームを一緒に作ってきて、『二ノ国』って一ノ国と二ノ国を行ったり来たりするところが魅力じゃなかったっけ?」と言われたんですよ。 面白ければ、一ノ国が関係のないファンタジー世界の作品を作っちゃっていいのかという。 それが「二ノ国」と言えるのかということなんです。 そこで気付かされて、ワーナーのプロデューサーさんに頼んで、書き直しをさせていただきました。 () まあそこは良いんですが、やはりこの設定ってゲームというユーザーありきのものだったんじゃないかなとは思うんです。 2つの世界を選択でき、それを行き来しながら物語を進行させていくという構造は、ユーザー視点で見ると、ワクワクしますし、自分で物語を選択し切り開いているかのような感覚を味わえます。 ただ、この設定を映画に持ち込むと、 ユウと ハルは命の危機にさらされたら、一ノ国に戻されるだけじゃん!となってしまいますし、いつでも戻れるということで異世界感も薄まってしまいます。 ゲームでは強みとなる自由度の高さが、ユーザーが参与できない映画というメディアになると、途端に緊迫感の欠如に繋がってしまうということですね。 それに加えて、この映画は現実世界と異世界を行き来するという構造にも関わらず、現実世界の描写が明らかに甘いんですよね。 『千と千尋の神隠し』のように、開始すぐに異世界に足を踏み入れて、映画のラストまで戻ってこないような構成にするなら問題ありません。 しかし、今作 『二ノ国』のように現実世界と異世界を行き来できる構造にしたのであれば、絶対に現実世界の世界観やそこでの ユウと ハル、 コトナの関係性はもっと掘り下げておく必要があるでしょう。 加えて異世界側である二ノ国についても大半が王宮のシーンであり、そこで人々がどんな生活をしているのかやどんな街並みが広がっているのかなどの情報をあまり提示してくれないため、何というか異世界に感じる高揚感やワクワク感がまるでないのです。 先ほど挙げた『ブレイブストーリー』の映画版でも、異世界に足を踏み入れるまでの現実世界での人物描写はもう少し丁寧にできていましたよ・・・。 せっかく2つの世界を行き来するというスケールの大きな物語なのに、世界観がこじんまりとしていて、広がりに欠けるのが勿体ないですね。 いまどきトロフィーヒロインは古いような・・・。 『機動戦士ガンダムAGE』の時に、女性を「子供を産む機械」のような扱いで登場させ、批判を浴びていた脚本の 日野さん。 今作 『二ノ国』を見て、確信に近づいたんですが、ジェンダー観が古いんじゃないかと思います。 未だにステレオタイプ的な女性ヒロインの扱い方をしているのも何となく腑に落ちないですし、女性側に主導権はなくて、勝手に ユウと ハルが コトナをどうするかで争っているという少し滑稽な光景が広がっていました。 スーパーマリオのピーチ姫のような扱いで、 コトナや アーシャ姫を扱うのは、明らかに時代遅れな印象を受けます。 前時代のプリンセス映画を見せられているような感覚でした。 悪役の扱いも酷すぎないか? 今作の悪役である ヨキはフランダー王の兄でかつ両親に捨てられたという設定なんです。 そして自分が愛されなかったからこそ、愛された兄が統治する国に恨みを抱き、攻撃するに至りました。 確かにヨキの取っている行動は、多くの人を危険に陥れているという点でもちろん「ヴィラン」的ではあるんですが、ただ彼が背負っている背景があるために「絶対悪」とは言えません。 そういう状況を作り出しておきながら、この映画は主人公たちが「愛する人を守るために」単純に勧善懲悪してしまうんですよね。 「愛する人を守るために誰かを殺すのが戦争」というセリフを ヨキ(ガバラス)が言っていましたが、それを否定するのが今作の気着点になるべきだったような気がするんですよね。 今作のラストバトルって単純に ユウと ハルが標的を変えて「愛する人を守るために誰かを殺す」をやってしまっただけになっていて、全くオチがつけられていません。 『ブラックパンサー』のキルモンガーについてはある程度「救い」が示される結末になっているので、納得だったのですが、『二ノ国』はその辺りの描写がとことん雑なので、そこは非常に残念ですね・・・。 近年、どんどんと「悪役」の描写の仕方が世界的に見ても変わりつつあるのに、いつまでこんなことをやっているんだろう・・・と感じずにはいられませんでした。 おわりに いかがだったでしょうか。 今回は 映画『二ノ国』についてお話してきました。 題材はかなり良かったと思いますし、個人的には「戦争」というテーマにファンタジーとして切り込んでいったのは、素晴らしかったと思います。 「愛する人を守るために守るために戦うのが戦争」という言葉も強く心に響きましたし、 ユウと ハルが互いに異なる コトナを救う方法を吹き込まれ、戦うという構図は、昨今問題となっている「宗教の違いと戦争」の結びつきを反映させたようでもあります。 素材はとにかく素晴らしかったんですが、幾分その調理方法に問題がありすぎて、食べるに耐えない料理になっていたような感じですね。 2019年はアニメ映画が豊作の年だったので、今作のダメっぷりが余計に際立ってしまう節はあります。

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二ノ国(映画)が酷い・つまらないと酷評!ドラクエとの比較も!

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本日はこちら。 の大人気ゲーム『』をアニメ映画化した作品。 原作のゲームとはまた違うのオリジナルストーリーとして映画が出来上がったらしいよ。 そんな 『』を今回は紹介していきます。 え?紹介早かった?いや正直ね、もう紹介は早くしてさっさとレビューをぶちまけたいと言うか色々言いたいというか。 あと眠い。 めちゃくちゃ眠い。 どうでも良いけど。 先に話すと、かなんかで生放送されてある大型プロジェクトが始まるよって放送は見ました。 そのときは確かタイトルも明かされてなかったから何かなと思ったら『』のアニメ映画が発表されたっていうね。 そういえばその放送前日に皆予想で「ワンピースが実写化するんじゃないか」って話もありましたね。 ただそんな大型プロジェクトのわりには、かなり予告がチープ過ぎて笑えるというより見ているこちらが恥ずかしかったです。 なんであんな下手くそな映像編集の予告を映画館で流そうとしたんでしょう。 それからポスターも今年一番ダサいと思ってます。 主人公二人は棒たちしてるだけだし、先に言いますが風景になってるあの街並みは一回しか出てきませんからそんなに重要でもなんでもないです。 だったらまだキャター勢揃いのポスターのほうがマシです。 『』とか と言ったら本編で見た感想を色々言ってしまいそうですね。 まぁそんな本編を見る前は嫌な予感はしてたけど、それでも予告はダサくて本編は良かった作品もあるから多少は期待はしてましたよ。 結構脚本の荒さだったりキャターの心情や、ストーリーの曖昧さで失笑する部分は多々あります。 大抵物語上主人公のユウが大抵言っていることが正しいのですが、そうなると友人のハルがただの行き当たりばっかりなバカにしか見えないです。 劇中見てれば分かりますがハルは結構物事がまっすぐなのでそうなるとは分かってましたが、あそこまで最初からバカとは思いませんでした。 例えばコトナが短剣で刺された時にユウは救急車を呼ぼうとしますが、遅れてきたやつがなにをしゃしゃり出てるのかハルはなぜかお姫様だっこをして病院へ連れていこうとします。 発想がバカだし、なんか見てて「お前は車椅子だけど俺はこうしてお姫様抱っこして病院へ連れていけるんだぞ」と思ってそうですよね さらにハルはなにを考えたのかアーシャを殺せばコトナは元の世界で助かるはず。 コトナは重い病気にかかったのはアーシャを救ったせいだからと言います。 これ一応一ノ国との同じ人物は命を共有していると話してはいるんだよね。 ただなぜハルがそういう考えに行き着いたかよく分からないし、それってハルが話を聞いていなかったからとかの問題じゃなくて、ただ自分の都合の良いように記憶改竄してるバカです。 しかもこれ何が面白いってこうした命のリンクの話が予告されてなかったら映画としての面白さはありましたが、予告で「命が繋がっている」と言われているし、そうした命の繋がりの設定は早々に分かりますからハルの「そんなの嘘だ」発言はもうただのピエロですよ。 そんなバカピエロことハルは自分の考えが正しいと思うばかりに化け物を飼っていて、暗黒な城に住み、『』の伯爵ような仮面をつけた男にまんまと騙されます。 だってバカだから そして転生したイキった主人公みたいに暗黒騎士に転職し、「夢だから人殺してもいいよね」という考えを持ち、伯爵ことガバラスの口実に乗っちゃいます。 だってバカだから! たぶんハルは将来詐欺に会いまくりだな! なんかハルの話しすぎたな。 ユウについても色々触れていくなら、とりあえずユウはコトナが好きな設定です。 ですがコトナと黒騎士バカピエロは付き合っていて、そうした気持ちに諦めを持っていました。 ですがでコトナに似たアーシャを好きになります。 これ俺的にこう解釈しちゃったんですよ。 「ユウがあっちの世界で恋が叶わなかったから、だったらこっちの世界でコトナに似たやつと恋したほうがいいんじゃないかって考えに至った」って捉えたことです。 俺的には例え同じ容姿や命の共有でも世界が違ければそれは一応別人だし、なんなユウがアーシャを好きになったのがただ胆にあっちの世界でうまくいかなかったからこっちで恋愛してやればいいかって感じのクソ野郎としかみれなかったんですよね。 まぁユウは結局の住人だと終盤で分かりますがね ユウが頭が良い設定にされてますがあまり頭が良いなと思える箇所はなくて別にいらない設定でしたね。 まぁあの黒騎士バカピエロに比べたらまだ良いほうだとは思いますが。 それに黒騎士バカピエロはユウに対しての反論で妄想ばかりだとかファンタ脳みたいな話もありましたね。 確かにユウは度々ファンタ脳でしたし、頭が良いというより唐突な意見を出したりはしてましたね。 黒騎士バカピエロにしては冴えてます ただそれならユウがもう少しファンタ好きとか、ゲームが好きってならそうした唐突な意見やファンタ脳も理解するんですがね。 あまりにも意見が冴えてるより唐突だと色々と話の流れが都合よすぎるなとしか思えませんでした ストーリー全体もかなりツッコミところ多すぎたし、色々雑でした。 なんか大規模なことをしているとは分かるんですが、そのわりには焦点が小さいし色々とふわふわしてましたね。 ですよ なんか用語は多いし、途中から後付けされたような設定持ち出したり、キャターの台詞がいちいち説明口調だったり アーシャの「私の好きなすっぱいオレンジ食べれば大丈夫よ」はなんか聞いててムカついた 物語全体がカットして名シーンだけを繋いでるような感じがしたから様々な出来事や用語が聞いてもないのに「さっき聞いたよね?」って感じでどんどん先に進むからアレはなに?これはなに?状態ですよ。 の上司かよ。 あと俺が一番何がイラってしたかって、アニメにこんなこというのもあれですがたかが高校生の分際でたかがガキの分際で「を守るなら殺すこともためらわない」とか「死んでもを守る」とかほざいてんじゃねーよ 愛してる人の為とはいえ若造がそれで自分や他人の命の選別するんじゃねーよ。 「死ぬ気で守る」ならまだ分かるが、「死んでも守る」?死んだら元も子もねーだろ。 それを高校生ごときがわかったような口で言いやがったのはなんかムカつきました もっと色々言いたいことがありますが、なんか長くなりそうですからこの脚本やキャターについてはもうここら辺で割愛しますね。 まぁこの設定も知ってるよねって感じで語られたけどそれはいいや。 この一ノ国との行き来があまりにも楽チン過ぎたし、すぐにその行き来となる鍵を見つけるからそれは残念ですよね。 大抵ファンタってどうやって自分達の世界に戻るかが王道で、その世界と自分達の世界に問題が起きるからどうやって解決して戻るかそれもよくあるファンタ作品だと思います。 たぶんそれを脱却したかったのかもしれませんが、なんか失敗してましたね。 行き来が楽だし、行き来を多くしてしまうとそのに浸る時間が短くなるし何度もそれをやるとせっかくの見ている人の楽しい時間などが失われてしまいます。 ディズニーに来たのに何度も仕事から電話がかかってくるのと一緒です。 またどうやって帰るかのドキドキ感や緊張感も失われます。 そのの行き来の鍵が「死の間際」らしいです。 終盤はもう良いけど、中盤躊躇なく火の中に入ろうとして行ったら高い場所から落ちるとか、もうスピードで走る車の車道を躊躇なく突っ込むとか勇気というより無謀です。 死を題材にしてる訳ではないけど、死を題材にした邦画でもここまでバカみたいに自殺しようとはしないよ。 てか高校生なら普通ためらうやん。 そのためらいもないからへ行く緊張感も失われます。 見てて思ったのは自殺も含め戦争や戦いに高校生がためらったり不安とか恐怖が全然ないのはどうかと思う。 仮に夢だとしても命のやり取りしてるわけだし、そこは戦いを拒んだりしろよ。 それで良く「命に変えても~」とか言えるな。 だから軽く聞こえるんだよ ちなみにさの食事はなんで一ノ国とそんなに変わらないの?変な鳥とかいたわりにさ、普通の肉とかあったり果物も普通だったりとかさ。 の作風に似ているからのようなアニメが見られると思った方は残念に思うでしょう。 ドタバタ走りや美味しそうに見える食事シーンはありません。 ただなん十分かおきに何となくですけど、作画が変わることがありましたね。 なんか書いてる人がいきなりではないけど変わった感じはした。 特に終盤はそんな感覚はありましたし、なんかアニメの作画の統一性がありませんでした。 あと無理にCG使わなくてもいいでしょう。 なんかこの映画ととかトーリーと比べたらCGのクオリはかなり酷いですよ。 なんかのCGレベルかな。 いやより酷いかな 結構作画的にいいでしょ的なアニメーションも特に印象に残るものはなかったです。 話がヤバいなら作画は良い方向へ行くかなと思ったらまったくそれはなかったです。 アクションもなぜか見にくいのはなぜでしょうか そういえばガバラスが真の姿と言って良いのか分かりませんが、本領発揮してデカくなり化け物をみたいになります。 このデザインを見た正直な私の感想を言いますね。 ようはユウの足の不自由な設定や親が二人とも死んだ設定はいらなくね?って話。 この足の不自由設定はもろ要らなかったですね。 ほとんどがメインで歩いているし、一ノ国ではその足の不自由への苦しみは出てこないし。 足が不自由だからこその物語の発展があまりなかったんですよ。 例えば中盤で急に歩けなくなってそこからどう這い上がるかとかの展開があればまだ言い方は悪いですが盛り上がると思いました。 ただそういうのもないし、じゃあ足の不自由の設定とは?となります。 足が不自由で両親がいない設定にしてあとは適当に脚本書くかとか思ったのかな?たぶんその考えがあるならよりたち悪いです。 あと車椅子についても疑問でコトナを助けたり探しに行ったりする際にあんなに猛スピードな速度出せるの?しかもあんなありまくりな転ばない道があるのも謎で、たぶん車椅子なら少しの段差も転びそうなんですが アニメだからという理由はいらないです。 結構子供も多く見に来てたからこれで誤認されたらどうするんですか。 「車椅子でもできるのかな」って それはないか それになぜコトナは車椅子所持者のユウに助けを求めた?普通最初彼氏ならまだしも次は親とかじゃないかな?それで無理をさせてしゃしゃり出て遅れてきた黒騎士バカピエロは何故かキレるし。 それにあのユウのお姉さんも「あなたは待ってなさい。 私が探してくる」っていえなかった?なんで皆車椅子持ちの障害者に無理させたがる!? 彼はプロフェッサーXじゃありません! 個人的に障害者描写ではラストはかなり気にくわなかった。 これはかなり個人的な価値観ではありますがご了承ください。 ラストの唐突なアレのツッコミはこの際良いとして、から帰ってきたハルはに行ってしまったユウが帰ってきたのかと信じ皆に訪ねますが皆ユウに関する記憶は消されます。 ここら辺はファンタぽいから良いんですが、少し裏を返したら「障害者がいない世界こそが幸福」だと受け入れてしまうんですよ。 映画の流れや足の不自由さや親がいない設定はいらないなどのツッコミい部分も含め、結局こういうやつがいなくなれば皆幸せだとしか伝わりませんでした。 さらにでも普通にユウは立っていてアーシャと歩いていたからここまで来ると製作陣はなにを思い作ってたんでしょうねって話ですよ。 さらに胸くそ悪いのは冒頭三人で美味しいお店に行くんですが階段があってユウは「邪魔物はここで帰るよ」といって帰ります。 どうやら遠回りすれば行けるとは誰かしらが言ってましたよ。 なんだよ、イジメかよ。 そしてラストのユウがいなくなり、コトナとハルは先ほど言った冒頭の階段がある場所へ向かいます。 きっと美味しいお店へ向かうのかなとは思いますが、この二人は優雅にしかも華麗に階段を上がっていきます。 ……………………… はぁ~~!??! そこは嘘でも良いから遠回りしていけよ。 なんだよ、本当にユウは2つの意味で邪魔物だったと?「階段からいきたいのにあいつがいたからここから行けなかったけど、今はあいつがいないからここから行けるぜ」と言いたいのかい?ふざけんな。 そうとは考えたくないし、俺の考えすぎかもしれませんがここまで来ると障害者は世の中にいらないよね作品になるし、それがなくとも命のやりとりや命とは何かを軽々しく語っている作品に受け取れてしまいます。 全体的にも脚本は雑で作画も乱れて、タレント声優の演技も微妙です。 アニメ版の『』もムカつきはしましたが、これとは違う別のムカムカがある作品でしたね。 しかも何がすごいって見てる最中は良いんだけど、見終わってから時間立つとムカムカ度が増すという珍しいタイプです。 最後に言うならLEVEL5様。 様々な映画を作ってはいるとは思いますが、今回ばかりのこの私を含めた世間の酷評は妖怪のせいにはできないですよ。 是非ゴットハンドのように強い心で様々な感想を読んで今後に生かしてください。

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